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チャレンジをしない日本は、AIの未来を切り開けるのか(前編)

作成者: chai+広報部|May 27, 2025 5:42:15 AM

 

 

 

目次

01 人間に寄り添える人工知能を作りたい
02 AIに対する日本人のマインドから変える必要がある
03 AI活用の土壌を見直さなければいけない
04 日本は、組織の分断やモラルの欠落が加速している
05 出る杭を引きずり下ろしていては突き抜けられない
06 日本は、「キラーアプリ」を作れるレベルに到達していない

 

 

 

 

01

 

人間に寄り添える人工知能を作りたい

―まずは、栗原先生が現在取り組まれている研究内容と、その研究に込められた思いを簡単にご紹介ください。

 

 僕自身は、人工知能や複雑ネットワーク科学、創発メカニズム、汎用・自律型人工知能などの分野を研究しています。そして、人間に寄り添うような人工知能を作りたいと考えています。それを僕は、「人とAIの共生」と呼んでいます。共生関係というと、例えばイソギンチャクやヤドカリなどを連想するかもしれません。お互いがお互いを必要とする関係ということです。そして、その場合、双方それぞれ自ら考えて動く自律性を持っている必要がありますよね。 


一方、現在のAIは僕らからすると道具です。道具に寄り添うというのは、言い回しとして違和感があります。寄り添うためには、寄り添われる側の人工知能も自ら考えて動くタイプでなければいけません。そういう人工知能を作ることが、僕自身の夢なのです。もちろん、そんな人工知能はまだ存在していません。 
なぜ作りたいのかというと、理由は幾つかあります。一つは、日本には「鉄腕アトム」や「ドラえもん」など、魅力的なキャラクターが沢山あります。それを実現したいのです、もう一つは、未来をより明るくしたいからです。今の社会は「inventive」(創造的、独創的)ではなくなっています。もっと言えば、地球的規模の深刻な問題である地球沸騰化や、現在も戦争をしている現状、そして、SNSの負の面の顕在化により民主主義も壊れつつあります。このままだと人類にどうみても明るい時代が来ないとなったときに、それをどう解決していけば良いのかと悩んでしまいます。 


我々は、争う状況になると、すぐに「対話が重要だ」言うのですが、それで解決しているのであれば、とっくに諸問題は解決されているはずです。しかし、できていないどころか、状況は悪化の一途という現状において、僕らは誰かを頼るしかない、となると人間と同等か、それ以上の知能を持つであろう次世代の人工知能であれば可能なのでは、と思うわけです。だけど、現在の人工知能はあくまでも道具なので、結局は使う人次第になってしまいます。 


ちなみに、「ドラえもん」はのび太君から何かを頼まれたとしても、ホイホイと言うことを聞いたりしないですよね。「こういうときには、のび太君が自分でやりなさいよ」と言って諭すわけです。そういった風に人間を、ちょっとハッとさせたり、気づかせたりします。それで、のび太君はドラえもんを信頼しているから、言うことを聞くわけです。こういった形の社会が、もしかしたら次の社会の中に取り込めていたら良いと思っています。 


もちろん、それですべての問題を解決できるとは言いませんが、そういう世界が来たときに、人工知能と上手く付き合えたらと思い描いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

02

 

AIに対する日本人のマインドから変える必要がある

―なるほど、素晴らしいですね。
近い将来、シンギュラリティ(人工知能が人間の知能を超えるタイミング)が起きようとしています。そうした中、栗原先生は著書『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』(角川新書)の中で「欧米ではAIをツールとして見るけれど、日本は“共生”として見ている」と指摘されていて、非常に共感させていただきました。また、「日本人の特性は森を見ること、欧米は枝葉を見る」という個性の違いを指摘された点も感心しました。そういう意味で、世界的に見て日本企業がAI活用において進んでいると感じる点、あるいは遅れていると感じる点、それぞれの理由についても、先生のご意見をお聞かせください。

 

 次に述べることは、企業だけに限ったことではなく、僕らアカデミアの世界でも多分共通しています。もっと言えば、日本全体に共通していることだと思いますが、人工知能をどう使っているかという観点から言ったら、やはり遅れているという言い方になります。その遅れているというのが、「日本人はリテラシーが低いからだ」とすぐ帰着してしまうのは、違う気がしています。 


今の人工知能は、効率化を強調されがちです。「日常の業務を効率化するんだ」「メールを要約、分析するんだ」と。しかし、日本人は元々真面目じゃないですか。「根性ありき」とまでは言いませんが、泥臭いこともしっかりとやりこなします。そういう気質を持ち合わせています。しかも、日本人は皆ちゃんと仕事ができます。欧米のことを悪く言うつもりは一切ありませんが、欧米は明らかに明確な階級が社会に定着していて、皆が同じ仕事をこなせるわけでもありません。そうすると効率的に作業しようと思うと、AIやDXを積極的に導入していかざるを得ない状況があるのだと思います。 


日本人は仕事をしっかりやるわけです。もちろん、たまにはエラーが出ますけれど、海外と比べたら圧倒的に少ないです。そうなると逆に、AIを使おうとすると「ズルをした」とか言われてしまったりします。その傾向は、役職が上の方に行けば行くほどあるというのは、明らかです。このマインドを変えるのは、なかなか難しい気がします。それが一つです。 


それから、やはり僕らは道具を使う生き物ですよね。ハサミとか…。今のAIは、リテラシー次第なのでしょうが、プロンプト(生成AIに対して与える指示や質問)ですべて片付けるわけです。では、しっかりプロンプトを書けているのか?というと、そこまでは使い熟していなかったりします。本当は使ったらすごく良いことがあるのですが、良さが引き出せていないからこそ、「どう使って良いかわからない」というところがあるのです。 


今、特に日本は“チャレンジをしない国”になってしまいました。チャレンジはすべてが成功するわけではありません.なので、チャレンジしないようになると、失敗してはいけない、という意識が強くなり、つまりは費用対効果が気になるようになってくるわけです。ところが、日常生活の効率化は企業の営業利益のどこに生かされたのかというと、それはなかなか見えにくかったりします。そうなると、マネジメント層としては、「AIにこれだけ投資をしていても、どういう形で生かされているのか可視化しにくい」となると投資を躊躇してしまうかもしれません。 


あと、もう一つあります。AI活用においてはイノベーションに活用すべしという話が良く出てきます。もちろん、イノベーションにAIを使えば新たな価値を生みだすことができるわけですから、それはプラスであることは間違いありません。ただ、僕自身が研究している中での直感と申しますか、何となくわかってきたことですが、イノベーションは使う人のイノベーション力に呼応するものです。やはり、イノベーティブでない人がAIを使っても大きなイノベーションを起こすことはできません。そう考えたときに、いきなりAIを使ってイノベーションを起こすのは無理な話ということになります。 


人工知能を活用する場合、そもそもイノベーティブな人もそこにいなければイノベーションが起きないとなると、現状においてチャレンジしにくくなっている日本において、「AIがあるからいきなりイノベーションを起こせ」というのは、到底無理な話なのです。その前に我々のマインドから変えないといけないのではないかというのが、僕自身の見立てです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

03

 

AI活用の土壌を見直さなければいけない

―私も同感です。やはり、最初の問題は日本が新しいものを受け入れ難い文化だということです。日本人が勤勉であるがゆえに、新しいテクノロジーとしてAIみたいなものが出て来たときに、「自分たちでやった方が早い」と言ってしまいがちです。また、「どうしてそれを受け入れられないのか」と言えば、AIの実態が見えにくいからです。特に、企業ユーザーになってくると、「AIを導入することによってどう効率化され、それが可視化できるのか」という問題もあります。 
最後に先生が指摘されたのは、現状ではイノベーティブな人がAIを使わないと、イノベーションは起きないということでした。まだ現時点では、AIは先生が求めるような自律型のAIにはなっていません。あくまでもツールでしかないです。そうすると、どうしてもプロンプトを書くセンス、言語化する能力が重要になってきます。そうした時に、イノベーティブな人でない限り、いくらAIを使ったとしても何も作り出せないことを実感しました。 
最大の問題は、日本の若者がチャレンジをしなくなってきていることです。保守的に生きようとしている人が多くなっています。そうした状況下において、日本企業や日本の若者が今後AIを活用して世界と戦うために、まず取り組むべき具体的な課題やテーマは何だとお考えでしょうか。

 

世の中的には「生成AIの次はAIエージェント(複数のAIモデルを統合し、自動的に意思決定を行うAIシステム)だ」と言葉だけで盛り上がっている人たちも散見されます。新しいテクノロジーに期待し盛り上がることは悪いことではないものの、そのテクノロジーを何のために使うのかについてちゃんと考えることが当然のはずが、テクノロジーをただ使うこと自体が目的になってしまっているような風潮もあるように感じるわけです。つまりは、価値を生み出すことに寄与しないテクノロジーに意味はありません。 


人間は生きていくことが目的ですから、衣食住が重要であることは当然であり、いかにして安心安全で、充実した、より幸せな生活を実現し、究極にはホモサピエンスという種を継続させるために寄与するモノが価値なわけです。なので、モノといっても、それは物理的なものもあれば、物語であったりさまざまです。そう思った時に、企業において、AIというテクノロジーで盛り上がっている人々がいて、そこで生まれているであろう価値が、その企業でのモノづくりの現場でちゃんと活かされているのか?という疑問を抱いてしまいます。 


新しいテクノロジーに盛り上がることは間違ってないし、他より早く注目して盛り上がれば他を出し抜いた優越感も得られます。もちろん、すべての企業がモノづくりに直結してはいないのでしょうが、やはり、すごく古臭い言い回しかもしれませんが、ベースにはモノづくりがあることは間違いないです。それは別に、クルマに限らず僕らがパソコンで使うアプリケーションのプログラムも含めてです。つまりは、AIが現場でのモノづくりの効率化に寄与できないならば、それは不要であるのかもしれませんし、イノベーションにAIを活用するとしても、現場にAIのことをしっかり利活用できるスキルがなければ、そもそもイノベーションをAIで起こそうとするモチベーションすら湧かないはずです。 


そもそも、なぜ僕らはこうやってAIやIT技術を盛り上げようとしているのかというと、効率化が答えではないからです。効率化した結果として、それがどのような価値の創造に寄与するのかというところまで行かないといけません。単に表面的な効率化に終始し、価値を生み出すチャレンジをしようとしない、今の日本のマインドでは、皆がAIを正しく活用するという状況にはなかなかなれないであろうと思います。 


それは、僕らの研究も全く同様です。最近は基礎的な研究であっても、三年後・五年後には事業化しなければいけないみたいな条件がついてきます。それって本当はおかしな話です。基礎研究はもっと先を見なければいけないのに、いきなり事業化を目指した研究になるというのは。もうそのマインドがかなり幅を利かせてしまっているのも事実だったりします。ですから、日本全体としてまずい傾向にあると感じているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

04

 

日本は、組織の分断やモラルの欠落が加速している

―本当におっしゃる通りです。メディアは、AIやAIエージェントをバズワードみたいな形で囃し立てています。ならば、現場の人たちがどう感じているかというと、全く感じていなかったりします。なぜなら、まだまだAIは外の世界だからです。 
ただ一方、日本の文化的な強みとしてモノづくりが原点にあります。品質の良さとか、職人気質で一つひとつを作り上げていくとか。それが今崩れてきていて、我々がご支援している中小企業を見ても、品質劣化がどんどん進んでしまっています。そうした現場にこそ、AIが活用できるようになることが、僕としては良いと思っています。やはり、日本はモノづくりの国です。そこに原点回帰し、人手不足や熟年技術者が減少する中、知識検証という形でAIを積極的に活用していくという方向性はある気がします。 
米半導体大手エヌビディアのフアンCEOは「次のAIの波はフィジカルAI(物理AI)だ」と強調しています。それが広がっていくと日本のモノづくり自体も衰退してしまうのではないかと危惧しています。「日本企業は今こそ、原点回帰すべきだ」と私も力説したいと思います。実際のところ、AI導入や活用を妨げる日本特有の障壁があるとすれば、それは何だとお考えですか。

 

今になっては障壁なのかもしれませんが、僕らの先輩たちの世代、まさに高度成長期を支えた日本には優秀というか、アグレッシブな精神のトップがいました。まるで、強力なモーターがあって、その下に正確に動く多くの歯車が備わっていたので、圧倒的な生産性を誇っていたわけです。ただ、時代も変わってきました。これからは、皆がそれぞれモーターとして全体を動かす時代になったのです。たとえ小さくても皆がモーターであれば大きなモノを動かすことができます。 


それを動かすには、それでもトップダウン的な気質も必要なのですが、日本は村社会という言葉に象徴されるように壁を作りがちです。なので、トップダウンにて組織を細分化することで、海外と比べると組織が分断されていってしまいます。 


海外は色々な民族がひしめきあい、コミュニケーションをしないと大変です。しかし、日本はある意味で単一国家なので、そういうことがありません。ただその分、お互いに壁を作り、別行動をしがちです。そのあたりが障壁になってきます。

 

 

 

―日本人は阿吽の呼吸でグレーな部分、隣接する領域をお互い補完しあって、仕事をすり合わせていくのは得意でした。一方で、今それがなくなってきています。多民族国家である海外は色々なバックグラウンドや宗教、価値観があるので形式化しないとやっていけません。ビジネスにおいてもしっかりと形式化されているわけです。 
日本は結局、今までのように阿吽の呼吸でやっていた仕事が、結果的にAIのようにプロンプトを明確に書いて、明確な基準を持ってやっていくことがなかなかできづらかったりします。いかがお考えですか。

 

日本人の阿吽の呼吸は、すごく重要な気質だと思っています。それを壊したのが悪者にしたくはないのですが、インターネットであり、ソーシャルネットワークです。それらが出て来て皆が繋がりました。最初は、「皆が繋がるのがグローバルだ」「繋がったことで多様性をもっと育むために相手を理解するんだ」と言っていたはずなのですが、気がついたらフィルターバブル(見たい情報が優先的に表示され、偏った視点を持ってしまう現象)によってグループ化・個別化し、お互いにやりとりしなくなってしまいました。阿吽の呼吸もないわけです。むしろ、他のチームに対しては、敵対視的にふるまってしまいます。これはもう世界的な傾向です。 


そうしたところに、日本独自の村社会的な仕組みが、どこかで結びつくこともあるのかもしれません。そうすると、今度は個人に対するいじめの問題が起きたり、妬みややっか見なども、相手を引き下ろす方向に向かいがちです。そうすると、自分の仲間でない人が良い思いをしていると、引き下ろそうとします。これが、顕著になってくるとモラルがどんどん壊れていくわけです。日本ではそういう嫌なところがかなり目立って来ている印象があります。

 

 

 

―ネット社会では好きなサークルが幾つかも出来上がっていて、その中で人間関係が完結してしまっています。違うサークルとの交流はほぼありません。それが、より顕著になっている背景には、日本文化があったりするかもしれないです。日本ではダイバーシティを受け入れようという考えが、まだまだ芽生えていないと思ってしまいます。

 

 

必要性がないですからね。トランプ米大統領がダイバーシティに対してネガティブですが、彼の立場に立って見たときには、想像以上に米国は多様性を享受する移民の国なはずです。我々からしたら、トランプ氏が目指している世界であっても、恐らく我々よりも相当に多様性がある世界なのだと思います。僕らにはわからないですよ。彼らの世界のネイティブではないですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

05

 

出る杭を引きずり下ろしていては突き抜けられない

―ところで、日本企業がAI技術を活用することで、既存事業の改革や新規事業創出にどのような具体的メリットが期待できるのでしょうか。

 

 やはり、日本人は真面目ですから、AIを使えるようになればなるべく使おうとする気がします。しかも、日本人は動き出すと早いじゃないですか。コロナ禍のときも、ワクチンを皆が打ち始めたら一気に加速しました。AIもいずれは使うようになっていくでしょう。問題はモノづくりです。現場にイノベーションを起こせるかと言っているときに、マインドを変えていかなければならないのです。 


「トライしてみないといけない」「もっと興味本位で動けるようになるべきだ」という場面で、良い意味か悪い意味かは別として参考になるとしたら、テスラであったりGAFAです。グーグルは元々検索エンジンからのスタートですし、Meta Platforms, Inc. (旧称: Facebook, Inc.)の共同創業者のマーク・エリオット・ザッカーバーグは、好きな女の子の好みを知るためにフェイスブックを開発したわけですから。 


日本でも、創業者が一代で築き上げた企業は、そうした企業風土が残っているかもしれませんが、もはや日本を代表する大手企業になってしまったところが、どれだけチャレンジ気質を保っていていけるのかとなると疑問です。「絶対まずいな」と思うのは、雇われ社長系です。致し方無いのかもしれませんが、「短期間で成果を出さなければいけない」となった時点でもう冒険をしなくなります。日本のメインストリームがチャレンジしない方だとしたときに、今の日本で頑張っている企業はマイノリティだから、どちらかというと憧れるよりも引きずり下ろす側になってしまいます。そこの辺りに、日本が突き抜けきれない原因があるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

06

 

日本は、「キラーアプリ」を作れるレベルに到達していない

―確かに、コロナ禍のときには初動が遅かったですが、一気に動き出しました。皆が一丸となってやれるところは日本人の良さだと思います。「その発火点は何だろう」と思いながら、先生のお話をお聞ききしていました。栗原先生は、著書『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』の中で、「キラーアプリ」を提唱されています。僕も日本の企業や学生に対しても、もうAIを活用しなければいけないとたきつけるためにも、「キラーアプリ」が出てくることが非常に重要だ」と思います。日本ではどんなものが考えられるのでしょうか。

 

 これはですね、本当におかしな話です。なぜかというと僕らはシーズ、まずは新しい技術を生み出すことで、新しい産業を生み出してきたわけです。ところが、日本は必要性、ニーズから入っていきます。今の日本に、何か新たなシーズというか、技術が生まれたから起業しようという流れは少ないのではないでしょうか。むしろ「AIは儲けられる」と言うと、それでまずは起業してしまいます。皆が持っている技術は基本、平均的なAIの技術力だけです。それだと皆も同じことしかできないわけですから、リソースの奪い合いとなって「上手くいかないのでは」と思いきや、今はAIバブルですからお金は落ちてきます。なので、一個か二個でも案件を獲得できれば、結構なお金が降ってくるので、それを続けているうちに、何となくブランディングしていけるという話を良く聞きます。ただ、それって本来はおかしいですよね。自分独自の技術で「キラーアプリ」を作ることで道を拓くのが本来の起業のはずが、「キラーアプリ」が作れないというのは、つまりは、ニーズを見出すことができないということなのでしょう。

 
今の人工知能がシーズというか、どういう潜在的能力を持っているかわかっていないからこそ、どう使って良いかわかっていないのではないかという気もします。結局、イノベーションの能力がなければシーズは作れないので、それが多分「キラーアプリ」がなかなか出にくい原因なのかもしれません。 


ChatGPTが出てまだ三年しか経っていないだけに、世界的に見ると生成AIは社会に定着するにはまだ早いのかもしれません。だけど、中国や米国を見るともはや人型のヒューマノイドロボット(人間に似た形状、動きを持つロボット)の進化がすごいです。あれって何に使うか一瞬わからないかもしれないですが、ガンガン作ることによって倉庫や組み立て工場でも使えるようになるかもしれません。そうすると、「キラーアプリ」を考えてじっと座っているのではなく、今あることの中からできることを冒険して、「キラーアプリ」を作っていくべきです。でも、日本人は決して動こうとしません。恐らく、「キラーアプリ」ができるところまで、まだ到達できていないのでしょう。 


結局海外が先に「キラーアプリ」に到達すると、海外からアプリが来て日本人がわーっと群がっていく。それを繰り返している気がします。「今後も、まだそれを繰り返すのか・・・」ということです。

 

 

 

―やはり、日本からも「キラーアプリ」が出て来てほしいですよね。ヒューマノイドロボットを見ていると夢があります。鉄腕アトムの世界を本当に現実化していて、ここに自律型AIの知能が入って来ると、もはやロボットと言って良いかわかなくなります。人工知能の同僚がいるのが当たり前になる。そんな世界が日本から生まれてくれると嬉しい気がします。

 

日本でもヒューマノイドロボットはありました。本田技研工業が開発した二足走行ロボット「アシモ」です。その頃は、日本のチャレンジ精神はまだ高かったはずですが、なぜか開発が中止になってしまいました。残念なことです。

 

 

 

―結構、日本の動きは速かったですよね。「アシモ」もそうですし、ソニーの「アイボ」もそうじゃないですか。あの時代に生成AIが入っていたら、すごいことになっていたと思います。

 

最近の中国のヒューマノイドロボットだと、パンチやキックなどのカンフーアクションを披露したりしています。ああいったものを見て、日本の企業経営者が「あっ」と思うかどうかです。「何の役に立つんだ?」と思うのか、「おおすごい!」と思うのか。そこで道がわかれる気がします。

 

 

 

 

 

チャレンジをしない日本は、AIの未来を切り開けるのか(後編)